「神様は越えられない壁を与えない」のか?自分の内なる声に聞く「回向返照」で考えてみた
「神様は越えられない壁を与えない」
日曜劇場ドラマ「JIN―仁」の中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が何度も出てきました。
多くの人は、この言葉を「あきらめなければ必ず目的を達成できる」という意味で解釈したことでしょうが、実は神様は「辛いこと悲しいこと」という意味では、人に「越えられない試練」を与えます。
人間は限界のある存在ですから、何もかもを自力で乗り越えられるはずがありません。
たとえば重い病気の人を「神様は乗り越えられない試練を与えないから必ず治るよ」と励ますのは、はたして優しいことなのでしょうか。
病気が治るか治らないかは神様の領域のことで、人には分からないからです。
もし、この励まされ方をした人の病気が治らなかったら、その人は「やっぱり神様はいない」とか「神様は嘘つきだ」とか思って、絶望してしまわないでしょうか。
「自分が悪いか、神様が自分を見捨ててしまったからだ」と自暴自棄になってしまいます。そう考えると、この励まし方は必ずしも優しくないということになります。
すべての苦しみや悲しみを自分の力で越えられるなら、人間は神様を必要としません。
『回向返照』(えこうへんしょう)という禅語があります。
人はその人生の中で
幾度となく壁にぶつかる事になります。
多くの人は壁にぶつかった時
どうするべきか?という答えを自分の外に求めます。
例えば、それは、賢人に助言を求めたり、占い師に相談してみたり。
しかし、人の助言は的確でないものも多くあります。
『回向返照』(えこうへんしょう)は外に答えを求めるのではなく、自分の内面を見つめなさいと教えています。
自分はどうしたいのか?
自分の内なる声に耳を傾ける
自分は自分をどう評価するのか?
他人から見た自分をよく見せることだけに執着していないか?
本来は、自分の人生なのだから、周りの目を気にしすぎることなく
もっと自由にワガママに生きてもいいのです。
誰のものでも無い、自分の人生なのですから
自分はどうしたいのか?
その声に素直に生きれば、人生はもっと素敵なものになります。
もちろん、回向返照の逆も、また有りです!
乗り越えられない壁にぶち当たったなら、ひとりで抱えずに、誰彼ともなく相談したり、話してみれば良いのです。
背負う荷物を軽くすることも時には必要です。
自分の内なる声が、きっと誰かに話して荷を軽くせよ!と仰ったのですから。