トレンドウオッチ/牧之瀬雅明

日々是好日 「毎日がいいことばかりだと、楽しいだろうな」。 苦労やストレスの多い毎日を過ごしていると誰しもがそう考えるでしょう。 しかし、それが妄想だと指摘できるのは、毎日は決してうまくいかない事の連続だから。 人は、毎日が決していいことばかりではないと悟っているのです。 しかし、いいことって何でしょうか? 「あの時、苦労したことが今に活きている」 「あの時の失敗が、後になって生かされた」 「あの時の悲しみがあって、人の立場になって斟酌することができるようになりました」

「神様は越えられない壁を与えない」のか?自分の内なる声に聞く「回向返照」で考えてみた

「神様は越えられない壁を与えない」

f:id:gleelife:20210909113313j:plain

 

日曜劇場ドラマ「JIN―仁」の中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が何度も出てきました。

 

多くの人は、この言葉を「あきらめなければ必ず目的を達成できる」という意味で解釈したことでしょうが、実は神様は「辛いこと悲しいこと」という意味では、人に「越えられない試練」を与えます。

 

人間は限界のある存在ですから、何もかもを自力で乗り越えられるはずがありません。

 

たとえば重い病気の人を「神様は乗り越えられない試練を与えないから必ず治るよ」と励ますのは、はたして優しいことなのでしょうか。

病気が治るか治らないかは神様の領域のことで、人には分からないからです。

もし、この励まされ方をした人の病気が治らなかったら、その人は「やっぱり神様はいない」とか「神様は嘘つきだ」とか思って、絶望してしまわないでしょうか。

 

 「自分が悪いか、神様が自分を見捨ててしまったからだ」と自暴自棄になってしまいます。そう考えると、この励まし方は必ずしも優しくないということになります。

 

 すべての苦しみや悲しみを自分の力で越えられるなら、人間は神様を必要としません。

 

『回向返照』(えこうへんしょう)という禅語があります。

 

 人はその人生の中で

幾度となく壁にぶつかる事になります。

 

多くの人は壁にぶつかった時

どうするべきか?という答えを自分の外に求めます。

 

例えば、それは、賢人に助言を求めたり、占い師に相談してみたり。

しかし、人の助言は的確でないものも多くあります。

 

『回向返照』(えこうへんしょう)は外に答えを求めるのではなく、自分の内面を見つめなさいと教えています。

 

自分はどうしたいのか?

自分の内なる声に耳を傾ける

 

自分は自分をどう評価するのか?

他人から見た自分をよく見せることだけに執着していないか?

 

本来は、自分の人生なのだから、周りの目を気にしすぎることなく

 

もっと自由にワガママに生きてもいいのです。

 

誰のものでも無い、自分の人生なのですから

 

自分はどうしたいのか?

 

その声に素直に生きれば、人生はもっと素敵なものになります。

 

もちろん、回向返照の逆も、また有りです!

 

乗り越えられない壁にぶち当たったなら、ひとりで抱えずに、誰彼ともなく相談したり、話してみれば良いのです。

背負う荷物を軽くすることも時には必要です。

 

自分の内なる声が、きっと誰かに話して荷を軽くせよ!と仰ったのですから。

9月9日は重陽の節。この日にふさわしい禅語は「重陽宮廷菊」(ちょうようきゅうていのきく)

f:id:gleelife:20210909113313j:plain

菊  重陽

9月9日は重陽節です。

 

節句」とは古代中国にける陰陽五行説に由来し、日本の暦に定着した年中行事を行う季節の節目(変わり目)となる日。

節句の「節」は、唐時代の中国の暦法で定められた季節の節目(変わり目)の日こと。

 

陰陽五行説によると暦の中では奇数の重なる日(一月一日・三月三日など、ただし一月だけは一日は「元旦」のため七日の「人日」の日が五節句に入っている)は『奇数すなわち「陽」が重なると「陰」になる』といわれ、それを避けるために魔除けの「避邪」の行事を行い、その季節の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的からはじまったとされます。

 

江戸時代の幕府は公式な行事(祝日)として『人日の節句(一月七日)』『上巳の節句(三月三日)』『端午の節句(五月五日)』『七夕の節句(七月七日)』『重陽節句(九月九日)』の五節句を定めています。

 

その後、明治六年(1873年)に「五節句」制度は廃止される事となるが現在においても年中行事の一環として定着。特に三月三日の「上巳の節句(桃の節句/雛祭り)」や五月五日の「端午の節句」などは親しまれています。

 

陰陽思想において奇数は「陽」の数字であり一桁の最大数である「九」が重なるためこの日を「重陽」と呼びます。また旧暦の九月九日は菊が咲く季節であることから「菊の節句」とも呼ばれています。

 

「九」は一桁の最大数の「陽」であり、特に九月九日は「陽」が重なることで「陰」となりそのため気が強く不吉な日とされ、それを祓う行事として「節句」が執り行われていました。

 

中国において「菊」は延寿の力があるとされます。

その起源は、中国の周代の周朝第五代王・穆王の時代に王に寵愛を受けた『慈童』という少年がおり、その『慈童』は王の留守中に誤って王の枕を越えてしまったことで、山深く、暗く、鳥も鳴かず、虎が住み、一度入山すれば二度と帰る事のできないとされる「縣山」へ流刑されることとなります。

それを知った穆王は『慈童』を哀れみ、二句の偈を授け、それを賜った『慈童』は菊の葉にそれを書き写したところ下葉の露がわずかに谷の水に滴り、この谷下にある三百余家、皆病気が治り長寿を保ちました。

 

そして『慈童』もこの水を飲み不老不死の仙人になったという伝説があります。

 

その名残に、お酒に「菊」の花を浮かべた「菊酒」や湯船に「菊」を浮かべた「菊湯」、「菊」を詰めた枕「菊枕」など邪気を祓い延寿・長寿の願いを込め行われています。

 

また「重陽節句」の前夜に露よけの綿を「菊」の花にかぶせておき、当日に露と菊の香りが染み込んだ綿で体を拭いて邪気を払い長寿を願う「菊の被せ綿」という風習があります。

 

他に庶民の間では「お九日」として親しまれ秋の収穫と合わせ祝う事から今日においても「長崎くんち」や「唐津くんち」などが行われています。

 

今日では新暦に変わり「菊」との季節感も合わなくなり、他の「節句」に比べ認識が低くなりました。しかし、古くは最も重要で盛んにおこなわれた「節句」とされています。

 

誰でも願いが叶う! 「マーフィーの成功の法則」やり方を解説

誰でも願いが叶う! 

「マーフィーの成功の法則」やり方を解説します

 

f:id:gleelife:20200303170005j:plain

 

実験の方法を説明しよう。いたって簡単なので、興味のある方は、ぜひ試してほしい。

 

(1)願望を設定する。手が届きそうで届かないくらいの内容がベスト。それを短い言葉でまとめておく。

 

(2)夜眠る直前に、ベッドの中で(1)の願望を6回唱える。声に出さなくてもよい。可能であれば、朝目覚めた直後にも6回唱えると、いっそうの効果が得られる。

 

(3)21日間、毎日(2)を続ける。

 

※日中は願望を意識しないで、軽く忘れておくのがコツ。

 

※「叶うはずがない」と最初から疑ったり、「絶対に叶える!」と力んだりするのは逆効果。ニュートラルかつ素直に実行しよう。

 

コロナ禍で不安になった人へ  「艱難辛苦 汝を珠にす」明日を信じて

連日、新型コロナウイルスの影響で、生活が不安定になった人の話をニュースで見かける機会が増えています。

f:id:gleelife:20201225094514j:plain



当初は、飲食店や観光業に目が向きましたが、今やあらゆる産業で影響があります。きっと皆さんの身の回りでも。

仕事、お金、人との関わり、いままで手に入れたものが突然消え、当たり前が当たり前でなくなった世界。

社会人だけではありません。女性も、子供も、老人だって。葬儀さえ開くことができない世界です。

私たちは、このウイルスにより、体を攻撃されるのではなく、もっと次元の異なるものを攻撃されて、崩壊させられているような気にもなります。

荒廃する世界は荒廃する心を生みます。

人々を直接死に追いやる戦争さえ、戦っている側の人は気分の高揚さえあり、決してすべてを否定する場ではなかったでしょう。

一部の成功者、このコロナ禍にあっても、売れている商品や才能を開花した芸能人など、羨望の眼差しよりも、いつか引き落としてやろうとする悍ましい目を向けられている時代です。

けっして、時代のせいにしてはいけませんが、、、

言葉は刃物。人の心を切り裂く怖さと同時に、

人を癒やし、助け、救う効果もあると信じたい。

「艱難辛苦汝を玉にす」とは

艱難にあうのは決して不幸なことではなく
これは人生経験の少ない人にとっての最高の良薬である。
艱難を経験することで人は心を明敏にし
性格を練り鍛え、変化に対応する知恵を身につけ
物事を計画する力を養うことができる。
まさに艱難によって人は力を得るのだ、という意味です。

人は常に壁にぶつかるものです。

失敗することも、後悔ばかりの人生を過ごすこともあります。

しかし、生きていく以上は、いつまでも後ろ向きにならずに
しっかり前に進むことがとても重要です。

「逆境は、決して敵ではなく時には逆に自分の恩師となって人生に
尊いものを教えてくれるもの」ともいわれ
さらに、「自分の心の指針を導く神からの恩寵でさえある」ともいわれます。

艱難によって潰れてしまう人が多いのも事実です。

艱難辛苦というものが、必ずすべての人を磨くものではありません。

まず、その人が困難とどう向き合うかが一番大事なのでしょう。

逆境の苦しいときは
逆境の時にしかできないことが必ずあり、

自らが鍛えられ、成長して進む関門だと、思えるかどうか。

つまりは、

何事もまずはきちんと向き合うこと。
どんなに辛いことがあっても
そこから逃げていては何も生まれないことを知る事。
自分の受け止め方次第で
 よい方向に変えることができる。


明けない夜はない。。。そう信じたいですね

新型コロナで「消失したもの」/倒産・休廃業が急増する飲食店業界

新型コロナの影響。売上消失!飲食店の倒産・休廃業が拡大

 

Go-to travelキャンペーン、Go-to eatキャンペーンなどを利用して経済復興にのぞみをつなげたタイミングで、緊急事態宣言がいつ出てもおかしくない状況になりました。

 

新型コロナウイルスの第三波を受け、政府の分科会はクリスマス前までの『我慢の3週間』を訴え、感染急増地域の往来自粛や、酒類を提供する飲食店の営業時間短縮などが提言されました。

新型コロナに直撃された「飲食業」では、倒産(負債1,000万円以上)が急増。これまで年間(1-12月)で最多の2011年の800件を上回ることが確実になりました(東京商工リサーチ調べ)。

 

飲食店倒産の背景には、コロナ禍で在宅勤務が定着したほか、感染防止で会食などの需要が減少し、インバウンド需要消失や休業・時短要請なども経営に大きな打撃を受けたのが主要因。飲食業は、2019年から人手不足が深刻化し、人件費の上昇が大きな経営課題に浮上していましたが、そこに新型コロナの感染拡大で需要がなくなり、「販売不振」が倒産原因になっています。

 

実は、飲食業は過小資本でのスタートアップが可能で小・零細企業・店舗が多く、今回の倒産企業の約9割を占めています。

 

新型コロナ第三波で、東京都、大阪府など「GoToイート」のプレミアム付食事券の販売停止や、再度の時短営業を要請する動き、さらにクリスマスや忘・新年会など、かき入れ時の年末年始の売上消失は、倒産だけでなく、休廃業を促す事態拡大も懸念されている。

 

行雲流水、雲無心

行雲流水・雲無心

 

広々した空に浮かぶ雲の悠々とした姿の前には人間の喜怒哀楽の感情など、とるに足りないほどの小さなものに思えます。鬱積とした気持ちを持っていても、それはこだわる心に過ぎないと反省させられ、強く生きる新たな力が湧いてきます。文学にはしばしば、悠然たる雲の姿に勇気づけられて人生の転機を乗り切る姿が描かれているのも当然でしょう。

「帰りなんいざ」が冒頭に来る有名な漢詩陶淵明の「帰去来の辞」に

「雲無心以出岫       雲は無心に以て岫(みね)を出で
 鳥倦飛而知還       鳥は飛ぶに倦みて還へるを知る」

があります。

「雲無心」の章とも呼ばれるこの節は、帰去来辞の核心を成す部分で、

「雲には天下を覆い尽くそうとする野心も、雨を降らせようとする邪心もない。自らの性に従って、山より出てゆったり空に浮かぶ。

今の私の生活のあまりに虚偽の多いことよ。鳥でさえ、飛ぶのをやめてねぐらに帰るのだから、私も本来の自分に立ち戻り、自由な天地で暮らしてみよう」の意味です。

「岫」という言葉は、山の風穴の意味で、古代は深山には洞穴があり、そこから雲が湧き上がると信じられていたのです。

 

青い空をふんわり浮かぶ雲が、のどかに流れていく様。その無心の雲は、私たちに、小さな感情に囚われずに、己が信じた道を貫き、自在に生き抜けと訓えてくれるのです。

例え、今が苦悶に満ちて苦境にいても、必ず新たな新天地が開けて幸せな人生が訪れるのに違いないと。

 

仏教では、雲の自在の姿を人生の理想的な在り方としています。行脚僧のことを「雲水」と言いますが、これは一か所に停滞せずに自由に諸国を修行して歩く姿を、行く雲、流れる水に擬えているのです。

修行の目的も、「悟りとは、とらわれることのない自由自在の心」を目指しています。

つまり、行雲流水の自在の心は、小事に拘泥せず、自分を貫く努力です。

いつまでも昨日までの不遇を嘆き悲しみ、拘泥して、努力を放棄することは自分の人生の冒涜となります。

キツイ言い方ですが、人生は一度きりなのです。

悔いなく、充実して生きるには日々を新たに、こだわりなき心にて今日という一日を最善を尽くして生きたいものです。

カーシェア業者破綻騒動。信販会社の責任は。。。

カーシェア会社(グループ)が突然、車の所有者に「破産手続きに入る」と通知し、波紋を広げているニュースが話題。

車を個人間で「共同使用」するビジネスモデルだが、その内容は「かぼちゃの馬車」によるルームシェア問題を思い起こさせるものだ。仕組みがサブリースに似ているからだ。果たして、かぼちゃの馬車の時のように、ローンに銀行が加担している事実はないのか?

デイリー新潮が説明会開催を記事に

デイリー新潮が11月14日に最新情報を掲載しています。

 

デイリー新潮によると、「高級カーシェア破綻騒動で新展開だ。11月14日、破産申請の方針を固めた「SKY CAR SHAREグループ」(以下、Sグループ)の代理人弁護士が、急遽、オーナー向けに緊急説明会を実施。だが現場は大混乱で・・・」

 

詳しくは、デイリー新潮の記事をご参照ください 


カーシェア 破産/問題の指摘は1年まえからあった!

調べてみると、2019年6月のヤフー知恵袋に掲載されたお悩み相談で、すでに話題となっています。
 
大切な友人が妙な話にハマってしまい困っています。 S社が〇〇シェアという高級車専門のカーシェア事業をしているが、法人が車を契約するとわナンバーになってしまうから 、個人が車のローン契約をして欲しい、ローン支払いは会社がするし、謝礼で30万円程貰えて車がレンタルされればお金が入るから小遣い稼ぎになる、という話でした。 後Sがカーシェア事業をやっているのに、ローン契約の話を持ちかけてきたのはRという会社でした。手広く事業をやっていて不動産や金融で儲かっている分の予算を割くためにそうしているらしいです。調べてみたらSの住所はマンション、Rの本社は大阪のレンタルオフィスでした。 明らかに怪しいし名義貸しで違法だし謝礼30万のために車のローンを組むのはリスクが大きいと説明したのですが、既に契約してしまったそうで納得してもらえません。 友人曰く、車の名義は2年で会社に譲る契約をするから名義貸しにならない、と言っています。 しかも、契約する人を紹介すると紹介者に10万円の謝礼が出るらしく、何で君はやらないの?という感じに思われています。 何とか友人の目を覚まさせたいのですがどうすればいいでしょうか? 会社が主催するセミナーにも興味があるようで洗脳されるんじゃないかと心配です。(以上 知恵袋掲載文)
 
このころは、契約者に事業への契約金が支払われていたので、問題にはならなかったのでしょう。しかし、怪しいと見る目はあったのです。
 
このカーシェア会社が今年10月になり、突然、「事業停止」の連絡を車のオーナーに連絡したことから、10月10日に「オートカージャパン」がニュースとして取り上げ、問題が明るみになりました。
 
のタイトルで情報発信したことから、ニュースとして大きく取り扱われるようになったのです。
 
 

カーシェア 破産/事業モデルは破たんしていたのか?

ビジネスモデルは、オーナーを募って、高級車を購入して、それを高利回りで配当を得ませんか?というもの。

月利5%という高配当です。年利60%、しかも、購入時に数十万円のキャッシュバックもありという条件です。

手持ち0円で自動車ローンを組めるから、カーローンの返済は、月に5%の配当を返済に当てればOK。

車はスカイカーシェアに預け、それを会社が運営(カーシェアリング)するという仕組み。

スカイカーシェアは、コロナを理由とした資金繰りが悪化。。。しかし、実際は、コロナ感染防止のため、電車などを使わずに車への需要が高まっていたとの見方もあり、コロナを理由に事業停止とするのは疑問が残ります。

この会社が計画的な事業停止だったのかどうかはこちらに詳しくありますのでご参考にしてください
 

f:id:gleelife:20201115061114j:plain

カーシェア融資の構図
 

カーシェア 破産/銀行の融資は絡んでいたのか?

かぼちゃの馬車では、スルガ銀行が審査を通すために、書類の改ざんまで行員が率先していたために問題となりました。

今回は、自動車ローンです。高級車ばかりですので、500万円を超える自動車ローンなので、銀行が積極的に加担していてもおかしくはありません。

しかし、車を自動車ローンで購入して、カーシェア業者に「また貸しする」ことを融資する時に知っていたのか?そこは銀行に責任を問えないところでしょう。

実は、このケースは銀行がからんでいないからこそ、問題なのです。

高級車のはずが、事故車で、実際は100万円ほどしか価値のないものに、500万円程度の見積もりが出されて、融資が発生していたとしたら・・・

事業が破たんしても、ローンを組んだ人には100万円の価値しかない「高級車」だと思っていた自動車とローンが残るだけ・・・稼ぐどころか借金です。

ブログにも指摘されているように、このカーシェア事業が儲かるビジネスなら、とっくに大手企業が参入していたでしょうし、銀行も連携して、きちんとしたスキームを構築して問題にもならなかったはず。

 

結局、ローンは一部の信販会社が加担していました。

しかし、現物の車を査定してきちんと融資金額を決めていたのでしょうか?

 

資金の調達が自転車操業になりがちな、ベンチャーだったために事業が行き詰ったのでしょうか?

 

責任は購入資金を融資した信販会社に?

問題は、自転車操業の事業(詐欺では問えないでしょう)よりも、

本来はローン金額の価値のない中古車に、新車並みの融資額を設定した信販会社の責任問題に発展するのでは?

実際の購入額とはほど遠い中古車でありながら、新車同等のローンを設定していたとすれば、当然責任を問われるし、また道義的な問題もありそう。信販会社の名前もやがて報道されるのでしょうか?

カーシェア 破産/自業自得というなかれ

コロナ禍で、生活に困窮し、思わず儲け話に乗ってしまった人もいるでしょう。

「金に目がくらんだ」と批判する声もありますが、もしも、自分のところにこの儲け話が来たら、そして回りに浮かれたように、この話に乗っている人たちがいたら・・・

私も、少しでも家計を楽にしようと、車を購入していたかもしれません。

 

情報弱者と切り捨てず、また自業自得と責めないで、少しでも被害が少なくなる手はずを、整備できたらと願います。