トレンドウオッチ/牧之瀬雅明

日々是好日 「毎日がいいことばかりだと、楽しいだろうな」。 苦労やストレスの多い毎日を過ごしていると誰しもがそう考えるでしょう。 しかし、それが妄想だと指摘できるのは、毎日は決してうまくいかない事の連続だから。 人は、毎日が決していいことばかりではないと悟っているのです。 しかし、いいことって何でしょうか? 「あの時、苦労したことが今に活きている」 「あの時の失敗が、後になって生かされた」 「あの時の悲しみがあって、人の立場になって斟酌することができるようになりました」

行雲流水、雲無心

行雲流水・雲無心

 

広々した空に浮かぶ雲の悠々とした姿の前には人間の喜怒哀楽の感情など、とるに足りないほどの小さなものに思えます。鬱積とした気持ちを持っていても、それはこだわる心に過ぎないと反省させられ、強く生きる新たな力が湧いてきます。文学にはしばしば、悠然たる雲の姿に勇気づけられて人生の転機を乗り切る姿が描かれているのも当然でしょう。

「帰りなんいざ」が冒頭に来る有名な漢詩陶淵明の「帰去来の辞」に

「雲無心以出岫       雲は無心に以て岫(みね)を出で
 鳥倦飛而知還       鳥は飛ぶに倦みて還へるを知る」

があります。

「雲無心」の章とも呼ばれるこの節は、帰去来辞の核心を成す部分で、

「雲には天下を覆い尽くそうとする野心も、雨を降らせようとする邪心もない。自らの性に従って、山より出てゆったり空に浮かぶ。

今の私の生活のあまりに虚偽の多いことよ。鳥でさえ、飛ぶのをやめてねぐらに帰るのだから、私も本来の自分に立ち戻り、自由な天地で暮らしてみよう」の意味です。

「岫」という言葉は、山の風穴の意味で、古代は深山には洞穴があり、そこから雲が湧き上がると信じられていたのです。

 

青い空をふんわり浮かぶ雲が、のどかに流れていく様。その無心の雲は、私たちに、小さな感情に囚われずに、己が信じた道を貫き、自在に生き抜けと訓えてくれるのです。

例え、今が苦悶に満ちて苦境にいても、必ず新たな新天地が開けて幸せな人生が訪れるのに違いないと。

 

仏教では、雲の自在の姿を人生の理想的な在り方としています。行脚僧のことを「雲水」と言いますが、これは一か所に停滞せずに自由に諸国を修行して歩く姿を、行く雲、流れる水に擬えているのです。

修行の目的も、「悟りとは、とらわれることのない自由自在の心」を目指しています。

つまり、行雲流水の自在の心は、小事に拘泥せず、自分を貫く努力です。

いつまでも昨日までの不遇を嘆き悲しみ、拘泥して、努力を放棄することは自分の人生の冒涜となります。

キツイ言い方ですが、人生は一度きりなのです。

悔いなく、充実して生きるには日々を新たに、こだわりなき心にて今日という一日を最善を尽くして生きたいものです。